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南風原花織について
絣などの平織は、綜絖を2つ使用しておりますが、
南風原花織は綜絖を8枚から10枚使用して、
図柄を浮き上がらせて織ります。
織る人の技術が問われ、手間と時間が掛かる織物です。
南風原花織は、色々な技法で織られるため、それぞれに名前がついています。
先染めの織物で、主に裏表が無い両面浮き花織で織られている物が多いですね。
アヤ乃花織
南風原町の工房「由」で大城アヤ乃さんが織った南風原花織をアヤ乃花織と呼んでいます。
今は、工房「由」で製作した着物と帯はアヤ乃花織の証紙がつきます。
アヤ乃さん以外の織り人が織った織物でも、
工房結の制作した花織はアヤ乃花織と呼ばれています。
両面浮き花織が多いですが、一部手花織の帯なども制作しています。
手花織は、手で紋様を入れたい部分に経糸をすくって色糸を織り込みます。
織り込んだ色糸は、裏側で切って遊ばないようにします。
帯の方が数多く、価格も手頃です。
着物は数が少なく価格も高価で100万円位からですね。
タッチリー花織
花織りは、通常緯糸(よこいと)で柄を構成していますが、
タッチリ花織は、経糸(たていと)で柄を織りだした織物で、
絣のように見えますが、花織です。
経糸が断ち切った様に見えるので、「タッチリ」と言われているようです。
浮き部分に、凹凸があり、紬糸の風合いが手触りが良く着やすいお着物です。
南風原独特の技法で、他の地域ではこのような技法で織られている花織はありません。
御召と同じように準礼装として着用頂けます。
着物、帯と製作されていますが、生産量が少なく貴重なお品です。
ヤシラミ花織
平織でヤスリ目のように細かい縞柄なので、やシラミと呼ばれています。
一本置きに別々の糸を織りこむことによって網代状に織りあげています。
琉球では王布として用いられましたが、現代ではおしゃれ着としてお召しになっています。
南風原花織のヤシラミ花織は生産数が少なく、着物も帯もめったに見ることはありません。
喜屋武花織と 照屋花織
明治時代の中頃、喜屋武村に美しい姉妹がいて、母親から織物を習っていました。
姉妹とも研究熱心でお互い独特の織り方を編み出しました。
その後、姉は隣村の照屋に嫁ぎ、妹は喜屋武村で嫁ぎました。
姉妹は、自分たちの子供にお互い独特の織りの技法を教えました。
その織り方は、綜絖を八枚使用する高度で手間のかかる織り方でした。
姉の織る布を照屋八枚と言い、妹の織る布を喜屋武八枚と言いました。
どちらも市場で大変人気を博しました。
しかし、戦後織り手がいなくなり、照屋八枚を織る人がいなくなり途絶えました。
2000年に、地元の有志が復元して現在は織られています。
南風原 道屯(ロートン)織
裏表とも経糸が浮く織り方で両面使えます。
九寸名古屋帯が多いようです。
南風原は、琉球絣と花織で沖縄一番の生産量です。
種類もたくさんあって、一つ一つにロマンがありますね。
また、技術力も素晴らしく、美しい織物です。